国税庁の税務大学校には、租税史料室という施設がある。
そのウェブサイトを眺めていたら、宮沢賢治の『税務署長の冒険』という作品が紹介されているのを見つけた。
宮沢賢治にこんな作品があるとは知らなかった。
改めて題名を眺めてみる。
税務署長の冒険。
税務署長といえば、冒険という言葉から最も遠いところにいる人のように思える。
いったい、どんな冒険をするというのだろう。
気になって青空文庫で読んでみた。
物語は、税務署長がある村へ講演に出かけるところから始まる。
ところが、講演先の村で、税務署長はとんでもない災難に見舞われる。
なるほど、これは確かに冒険である。
さて、税務署長が講演をするという習慣は、現代にも残っている。
つい先日、私のところにも、今年の税務署長講演会の案内が届いたばかりである。
百年後の税務署長講演会
私が所属する税理士会の支部では、毎年、税務署長講演会が開かれている。
過去5年間の案内を振り返ってみると、講師を務める税務署長は毎年違う。どうやら、着任したばかりの税務署長を迎える恒例行事になっているらしい。
講演会を主催するのは、税務署の関係六団体である。
税理士会、法人会、青色申告会、納税貯蓄組合、間税会、小売酒販組合。
いずれも税務行政に関わりの深い団体だが、それぞれに独自の目的や活動がある。
税理士会は税理士の団体であり、法人会は企業経営者などの団体である。小売酒販組合には、酒類を販売する事業者が集まっている。
税務署から見れば、いずれも税務行政を支える協力団体ということになる。
その協力団体が集まって、新任の税務署長を迎え、講演をしてもらう。
よくできた仕組みである。
ただし、講演会の案内は、各団体の会長や支部長だけに届くわけではない。
私のような一般の会員にも届く。
ここが少々、気になるところである。
名誉村長という曲者
さて、宮沢賢治の『税務署長の冒険』に戻ろう。
童話の税務署長は、ある村へ講演に出かける。
村では名誉村長をはじめ、村会議員や小学校長といった人々が税務署長を迎える。
ところが、この村には秘密があった。
村人たちが密造酒を造っていたのである。
しかも、名誉村長は、その密造酒会社の社長だった。
税務署長を迎える村の代表者が、実は税務署長に知られては困る事業の責任者でもあったわけだ。
この名誉村長という人物が、なかなかの曲者である。
表向きは税務署長を歓迎している。しかし、その裏では密造酒会社を経営している。
やがて税務署長は密造酒工場を発見するが、逆に村人たちに捕らえられ、木につるされてしまう。
村人たちの中には、税務署長を殺してしまおうという者まで現れる。
そこで名誉村長が口を開く。
「とにかく善後策を講じようぢゃないか」
名誉村長は、村人たちの過激な行動を抑え、事態の収拾を図ろうとするのである。
税務署長を歓迎した人物が、税務署長を危険に陥れた事業の責任者でもあり、最後には事件を内密に収めようとする。
もっとも、それが税務署長への善意からだったのか、それとも村の利益を考えてのことだったのかは、簡単には決められない。
税務署長を殺してしまえば、密造酒どころの騒ぎではなくなるだろう。
味方なのか、敵なのか。
実に複雑な人物だ。
村という名の関係団体
この童話を読んでいるうちに、私は、村そのものも気になってきた。
宮沢賢治が描いた架空の村である。現実の行政区画としての村にこだわる必要はないだろう。
村には代表者がいて、共通の事業があり、それぞれの立場を持つ人々がいる。
一つの組織のようにも見える。
そう考えると、この村を現代の税務署の関係団体に見立てて読むこともできそうだ。
もちろん、現代の関係団体が密造酒を造っているという話ではない。
共通しているのは、税務署との関係が、単純な協力と対立の二つに分けられないことである。
関係団体には、それぞれの目的がある。
税理士会は、税理士法に基づいて会員の指導や連絡、監督などを行う団体である。
一方、そこに所属する税理士は、それぞれの依頼者を抱えて仕事をしている。税務署と協力することもあれば、税務署の判断に異議を唱えることもある。
税理士会が税務行政の協力団体だからといって、所属する税理士一人ひとりが、いつも税務署に協力的とは限らない。
しかも、団体の代表者と一般会員が、いつも同じ考えを持っているとは限らない。
賢治の村でも、名誉村長と村人たちの判断は必ずしも一致していなかった。
名誉村長が税務署長を歓迎したからといって、村人全員が税務署長を歓迎していたわけではない。
現代の講演会も、少し似ている。
関係六団体が主催するのだから、税務署長に協力的な人々が集まるはずだ。
少なくとも、そう期待したくなる。
ところが、そう簡単にはいかない。
そもそも、講演会に集まる人々が、全員、自分から税務署長の話を聞きたくて申し込んだとは限らない。
何しろ、関係六団体が新任の税務署長を迎えて開く講演会である。客席がガラガラでは格好がつかない。
実際、私も以前、関係六団体の別の行事で、支部の役員を務める重鎮の税理士から、参加を頼む電話をもらったことがある。
税務署長講演会でも、ある日、こんな電話がかかってくるかもしれない。
「先生、先生。○月○日、空いてる?」
何かと思えば、参加者が集まらないという。
「人が足りないんだよねえ。出てもらえないかな」
そんなふうに頼まれたら、私も人数合わせに駆り出されるかもしれない。
税務署長から見れば、関係団体が用意してくれた聴衆である。
ところが、その聴衆がどういう経緯で会場にやってきたのか、何を考えているのかはわからない。
税務署長の話を楽しみにしている人もいれば、役員に頼まれて仕方なく来た人もいるかもしれない。
税務署の仕事に理解を示す人もいれば、日頃から税務行政に言いたいことを抱えている人もいるだろう。
協力団体が主催する講演会だからといって、協力的な聴衆ばかりが集まるとは限らないのである。
観察する人、される人
賢治の童話では、税務署長は村人たちの秘密を探ろうとする。
しかし、村人たちもまた、税務署長の様子を観察している。
税務署長が探偵のように振る舞う姿を、村人たちは見て、笑っている。
観察しているつもりが、観察されている。
この関係も、現代の税務署長講演会に重ねてみると面白い。
新任の税務署長にとって、講演会は地域の関係団体の人々と顔を合わせる機会である。
一方、関係団体の人々にとっても、新任の税務署長がどんな人物なのかを知る機会になる。
どんな話をするのか。
どんな考え方を持っているのか。
どんな人柄なのか。
講演をする側も、聞く側も、互いを観察しているのである。
しかも、私の所属する支部では、少なくとも過去5年間、税務署長が毎年交代している。
関係団体の側には、長年その地域で活動している人々がいる。
そこへ、新任の税務署長がやってくる。
税務署長にとっては初めての顔合わせでも、迎える側には、これまで何人もの税務署長を見てきた人がいるかもしれない。
そう考えると、どちらが相手をよく観察しているのかも、わからなくなってくる。
百年ほど前、賢治の税務署長は、講演に出かけた村で密造酒工場を発見し、木につるされるという大冒険をした。
現代の税務署長が、講演会でそんな目に遭うことは、まずないだろう。
税務署長の冒険は、もう終わったのかもしれない。
もっとも、賢治の税務署長の冒険は、木につるされたところから始まったわけではない。
知らない村に入り、講演をし、歓迎会でもてなされる。その裏に何があるのかわからないまま、村人たちを探り、村人たちに探り返される。
冒険は、そこからもう始まっていた。木につるされたのは、その結果にすぎない。
そう考えると、現代の税務署長も、冒険の入口には立っている。
関係団体の代表者がにこやかに迎えてくれたからといって、会場に集まった人々がみな同じ顔をしているとは限らない。
中には、人数合わせで呼ばれた税理士もいるかもしれない。
そして、新任の税務署長は、そういう人たちを前に講演をしなければならない。
木につるされる心配はなくなった。
けれども、税務署長の冒険は、まだ終わっていないのかもしれない。
