私は、日曜大工ならぬ「日曜研究者」である。
本業は税理士だが、面白そうなものを見つけると、つい調べに出かけてしまう。
埼玉県和光市に、租税史料室という施設がある。
税務大学校の和光校舎の中にあって、税の歴史に関する史料を二十万点以上集め、一般に公開している。入館は無料である。
昭和四十三年に「租税資料館」として始まり、平成十八年に「租税史料室」と名前を変えた。
ここでは年に一度、特別展示を入れ替える。
今年度の展示は「税務署の仕事から見た昭和」。昭和の前半、戦前から戦後すぐまでの税務署の仕事を振り返るものである。
それが、もうすぐ終わる。
仕事は忙しかった。
月曜日に一日あけて、雨の中を和光へ向かった。展示が終わる三日前である。
電車を間違えて、練馬のほうへ出てしまった。
大泉学園からバスに乗る。東映の撮影所の前を通り、司法研修所の前を通り、税務大学校の門の前で降りた。
入館のときに名前を書く。
記名欄を見ると、その日の来訪者は、どうやら私一人らしかった。
黄色い冊子
展示ケースの中に、黄色い冊子があった。
『税の聲 第一集』。
表紙にはラジオの絵と、マイクの前で本を読み上げる女の人の絵が描かれている。
「あなたの声が収録されている」とある。
昭和二十四年、NHKのラジオ番組「私たちの言葉」に寄せられた投書から、税に関する不平や不満を選び、国税庁の回答をつけて刊行したものだという。
日本放送協会提供、国税庁広報課編集。
展示の説明によれば、この番組に届く投書のうち、いちばん多かったのが税の話だった。
放送で取り上げられなかった投書にも、国税庁は回答していたそうである。
アイスキャンデーを食べながら相手する
冊子は、そのページが開いてあった。
「アイスキャンデーを食べながら相手する」。
投書したのは、神奈川県のある婦人である。
五月の始めごろ、婦人は税務署の取引高税係へ、取引高税台帳を返してもらう手続きに行った。
取引高税というのは、戦後すぐに商売の売上にかかった税で、一年あまりで廃止された。いまはもうない。
すると、係の方は、ちょうど「アイスキャンデー」を食べながら仕事をしておられました、と婦人は書いている。
私は、それを見て、何だか暗い気持になり、しばらく、だまっていましたが、やがて思い切って、その方に、用件を、お話しました。
すると、その方は、あい変らず「キャンデー」を横に、くわえたまま、私の方を向いて、ぶっきらぼうな早口で教えて、すぐ又、後を向いて「キャンデー」を食べていました。
税務署員と言えば、たださえ、注目の的ですのに、この方はまた、何とお行儀の悪い人でしょう。
投書は、こう結ばれている。
こんな「お行儀の悪い事」は、ぜひ慎しんで下さい。
八月二十二日の放送である。
五月の始めである。そんなに暑かったのだろうか。
私が自分で役所の窓口に行くようになったころには、窓口はもうだいぶ親切になっていた。
それでも、アイスキャンデーを横にくわえたまま相手をする人には、会ったことがない。
それにしても、誰も税金の話をしていない。
婦人が怒っているのは、税額のことでも、手続きのことでもない。お行儀のことである。
注目の的
それまで、税務署は大蔵省の下の財務局の、そのまた下にあった。
戦後の混乱とインフレの中で、新しい税が次々にできた。
昭和二十四年の五月には、シャウプ使節団が来日している。
そして六月一日、国税庁が発足した。
GHQが、道徳心が高く専門的な職員からなる徴税機関を求めたのである。モデルはアメリカの内国歳入庁だった。
国税庁の生みの親といわれるハロルド・モスは、税務職員に宛てた祝辞をこう締めくくった。
正直者には、尊敬の的、悪徳者には、畏怖の的。
婦人は「注目の的」と書いた。
国税庁のお答え
国税庁広報課のお答えは、「苦情相談所の御利用を 税務官吏の行跡について」と題されている。
この「私たちの言葉」に、度々、税務署員の態度や取扱いが非常に悪いとのお叱りを受けておりますが、国税庁としても誠に遺憾なことであり、深く反省しているところであります。
そう始まって、租税収入の確保が第一であること、税務署の事務が非常に多くなっていること、しかし六月一日の国税庁発足以来、納税者の心を心として、口先ばかりでなく、信頼される税務機構の態勢を整えるべく心がけていることが述べられる。
職員の素質の向上を図ること。信賞必罰を徹底すること。
そして、国税庁に苦情相談所を設けること。
専門の職員が親切に相談に乗り、秘密は絶対に守り、一つ一つ結果を確認する。税務署名と税務官吏の名前と事実の概要を持って、遠慮なくお越しください。
苦情相談所の場所は、東京都千代田区内幸町元東拓ビル国税庁内。
アイスキャンデー一本に、これだけの返事が返ってきた。
お答えの横には余白があった。
そこに、枠で囲んでこう書いてある。
取引高税の申告と納税は毎月十日までにお忘れなく!
お行儀
戦後、税務署への不満の受け皿は、二つに分けて作られた。
職員の態度への不満は、苦情相談所へ。
税額や処分への不満は、翌年にできた協議団へ。協議団は、のちに国税不服審判所になった。
お行儀の不満と、税額の不満が、別々の窓口に振り分けられたのである。
婦人は、税額のことは何も書かなかった。書いたのは、お行儀のことだけだった。
母が生まれた年
ところで、昭和二十四年といえば、私の母が生まれた年である。
婦人がアイスキャンデーの係員に会ったのは、その年の五月。母はまだ、祖母のお腹の中にいた。
六月一日に国税庁ができた。
八月十六日に母が生まれた。
八月二十二日に、婦人の投書が放送された。
その二年後の昭和二十六年、税理士法ができて、税務代理士が税理士になった。
その母の娘が、いま、税理士をしている。
そして雨の日に、国税庁の施設である税務大学校の租税史料室で、一人、母が生まれた年の冊子を読んでいる。
足元のお悪い中
展示室に置いてあったファイルに、案内があった。
映像資料を見たい方は、一階の事務室にお声がけください。
見たい。
しかし、もう閉室の時間が近い。
一階へ降りる前に、黄色い冊子の前を、もう一度通った。
一階に降りると、事務机が二つ並んでいて、男性の職員が二人、座っていた。
受付というものはない。二人は何か話している。声をかけていいものかどうか、わからない。
私は、その前で少し迷い、それから思い切って、映像を見せてもらえないかとお願いした。
職員は立ち上がった。
いえいえ、せっかく足元のお悪い中お越しいただいたことですし。
閉室の時間を少し過ぎてもかまいませんよ、という様子で、プロジェクターのある説明室まで案内してくれた。
どれを見ますか、と映像を選ばせてくれる。
一本終わると、次も見ますか、と声をかけてくれる。
結局、私は三本も見せてもらった。そのたびに職員は映像を取り替えに来てくれた。
帰りぎわにバス停の場所を聞いた。それも、親切に教えてくれた。
足元のお悪い中、ありがとうございました、と言われて、外に出た。
七十七年前、神奈川県のある婦人は、税務署で暗い気持ちになって帰った。
七十七年後、神奈川県のある婦人は、税務大学校で、何と親切な人たちだろうと思いながら帰った。
雨は、まだ降っていた。
(引用は『税の聲 第一集』26〜27頁より。旧字・旧かなは改めた。職員の発言は記憶による)

