私は東京地方税理士会の川崎西支部に所属している。
支部からは、研修会や行事などのお知らせがメールで届く。今日もその一通が届いた。
税務署長講演会の案内だった。
日時は決まっている。会場も決まっている。講師は川崎西税務署長。ところが、演題の欄には「未定」とある。
未定なのはいい。まだ決まっていないことだってあるだろう。
気になったのは、その二文字がわざわざかぎ括弧に入っていることだった。
まるで「未定」という題名の講演が行われるようではないか。
私にとって講演会とは、好きな作家や研究者が、興味のあるテーマについて話すと聞いて、足を運びたくなるものだ。
何を話すかもわからないのに、よく参加者を募集できるものだと思った。
もっとも、応募する方も応募する方である。
昨年も同じ案内を受け取ったはずだが、特に何とも思わなかった。今年はなぜか、このかぎ括弧に引っかかった。
そこで、前年の案内を調べてみた。
やっぱり「未定」だった。
一昨年も「未定」。その前年も「未定」。
気になってさらに遡ると、過去五年間の案内状は、すべて「未定」だった。しかも、ご丁寧にかぎ括弧付きである。
| 年 | 税務署長 | 演題 |
|---|---|---|
| 2021年 | 石本力 | 「未定」 |
| 2022年 | 馬見塚武治 | 「未定」 |
| 2023年 | 菊池正純 | 「未定」 |
| 2024年 | 千葉隆史 | 「未定」 |
| 2025年 | 大久保篤 | 「未定」 |
| 2026年 | 樫田明 | 「未定」 |
※いずれも参加者募集時点の案内状による。
署長は毎年替わっているのに、演題だけは変わらない。
もちろん、当日まで未定だったかどうかはわからない。実際、2022年の講演会には「これからの社会に向かって」という演題がついた記録がある。
しかし、少なくとも参加者を募集する段階では、演題を知らせる必要がないらしい。
私はいったい、何を調べているのだろう。
それでも、ここまで来ると気になって仕方がない。
税務関係六団体とは何者か
案内状を改めて眺めてみた。
「税務関係六団体共催による税務署長講演会」と書いてある。
税務署が主催する講演会だと思っていたが、そうではないらしい。税務関係の六団体が、税務署長を講師として招いているのだ。
六団体とは、納税貯蓄組合、青色申告会、法人会、間税会、小売酒販組合、税理士会のことだ。
納税貯蓄組合は、期限内納税などを推進する団体。青色申告会は、主に個人事業者の記帳や申告を支援する団体。法人会は、企業経営者などが集まり、税に関する研修や啓発活動を行う団体である。
間税会は消費税などの間接税に関わる団体。小売酒販組合は酒類販売業者の組合。そして税理士会は、税理士法に基づいて設立される職能団体だ。
税理士会は私自身も所属しているから馴染みがあるが、こうして並べてみると、ずいぶん多彩な顔ぶれである。
酒屋さんの組合まで入っているのは、酒税と税務行政の長い歴史によるものだろう。
調べてみると、国税庁の租税史料室では「近代日本の税務行政と関係民間団体~税を支えるパートナー~」という特別展示まで開催されていた。
税務署と民間の協力団体との付き合いには、長い歴史があるらしい。
毎年、新しい署長がやってくる
それにしても、なぜ毎年、講演会を開くのだろう。
過去の案内状を並べていて、もう一つ気づいたことがあった。
署長の名前が毎年違うのだ。
税務署長の人事異動は例年七月に行われる。そして、講演会は十一月。
なるほど、これは新任署長を迎えるための年中行事なのではないか。
税務関係六団体の会員にとっては、新しい署長がどんな人物なのか、顔を知っておく意味がある。署長にしても、地域の税務関係者に自分を知ってもらう機会になる。
実際、ほかの地域の税務署長講演会について調べてみると、署長がこれまでの赴任先の思い出や、自分の仕事観、趣味などを披露している例もあった。
そういうことなら、演題未定でも参加者を募集できる理由はわかる。
何を話すかよりも、誰が話すかが重要なのだ。
ただ、別の疑問が湧いてきた。
それなら、どうして「顔合わせ」ではなく「講演会」なのだろう。
歓迎会でも、懇親会でも、名刺交換会でもよさそうなものだ。
招かれた人が語り、招いた人が聞く
考えてみれば、講演会というのは独特な形式である。
一人が語り、大勢が聞く。
しかも、この講演会では、主催者は六団体なのに、壇上に立つのは税務署長だ。
招く側が、招かれた側に語る場所を与え、その言葉を聞く。
単なる顔合わせとは違って、そこには明確な役割の違いがある。
ここで、昔勉強した文化人類学のことを思い出した。
人類学には「通過儀礼」という考え方がある。人がある社会的地位から別の地位へ移るとき、その変化に伴って行われる儀礼のことである。
新任署長は、人事異動の辞令を受けた時点ですでに署長になっている。
しかし、地域の税務関係者との関係は、それだけで出来上がるわけではない。
六団体が署長を招き、会員たちが集まり、その話を聞く。
その行為を通じて、新しい署長と地域の関係者との関係が、改めて確認されるのではないだろうか。
新任署長にとっては、着任に伴う儀礼。六団体にとっては、毎年繰り返される年中行事。
そう考えると、講演会という形式そのものに意味があるように思えてくる。
尊者と神輿
新しい人物を迎える儀礼について考えていると、今度は折口信夫の「まれびと」が頭に浮かんだ。
外の世界からやってくる特別な存在を迎えるという、あの考え方である。
折口は、平安時代の貴族の宴会で正客として迎えられる「尊者」にも、まれびとの観念とのつながりを見いだしていた。
尊者。
なんだか税務署長にぴったりではないか。
ところが、ここで妙なことに気づいた。
今回の講演会は、税務署で開催されるのである。
六団体が招いた尊者が、自分の職場でお話しになる。
これでは、いったい誰が訪問者なのかわからない。
折口は、ひとまず脇に置くことにした。
そして、あれこれ考えているうちに、今度は神輿が浮かんできた。
税務署長という地位は、人が替わっても続いていく。
その地位を神輿に見立てれば、毎年そこに乗る人物が入れ替わる。いわば、新しいご神体がやってくるのである。
六団体の関係者が集まり、新任署長の言葉を拝聴する。
もちろん、実際の祭礼を説明しているわけではない。私の頭の中で、勝手に神輿が担ぎ出されただけの話だ。
だが、この見立てなら、最初の疑問にも答えが出る。
ご神体のお話が面白そうだから、参列するのではない。
ご神体がお話しになるから、参列するのである。
そうか。演題が未定でもよかったのだ。
現地調査には行かない
もっとも、ここまでの話は、案内状や公開資料から考えた私なりの仮説である。
実際に講演会へ行ってみれば、また違ったことがわかるかもしれない。
誰がどこに座り、署長がどう紹介され、参加者がどんなふうに話を聞いているのか。講演が終わったあと、誰が誰に挨拶するのか。
考えてみれば、私はもともと、この講演会に参加するつもりなどなかった。
昨年は案内状を見ても、そのまま通り過ぎた。今年も署長のお話を聞きたいと思ったわけではない。
ただ、今年は演題欄の「未定」に、なぜか目が留まった。かぎ括弧がなければ、そのまま読み飛ばしていたかもしれない。
講演会そのものには関心がなかったのに、講演会という行事のあり方には、俄然興味が湧いてしまった。
税理士会の会員ではあっても、どうやら私は、この年中行事を大切にする人たちとは、少し違うところに立っているらしい。
もしかすると、参加するつもりがなかったからこそ、毎年参加する人たちには当たり前のことが、不思議に見えたのかもしれない。
過去五年間の案内状を調べ、税務関係団体の歴史をかじり、折口信夫に寄り道し、とうとう頭の中で神輿まで担ぎ出してしまった。
私はもう、十分に満足している。
今年も講演会に行くつもりはない。
ご神体は替わるが、祭礼は続く。
演題は、「未定」。
参考資料
- 川崎西税務署長講演会の案内状(2021年〜2026年)
- 川崎西法人会『令和4年度事業報告書』
- 国税庁租税史料室「近代日本の税務行政と関係民間団体~税を支えるパートナー~」
- 折口信夫『まれびとの歴史』
