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偽国税庁とチャルディーニ――人はなぜ国税庁の言うことを聞くのか

1.詐欺の心理学だと思っていた

最近、迷惑メールフォルダに届く偽国税庁からのメールを集めている。

普通なら迷惑メールは削除するものだろう。ところが私は、文面があまりに面白いので、一通ずつ保存している。国税庁を名乗るメールが届くたびに、また新作が来たと思って喜んでいるのだから、おかしな税理士である。

この偽国税庁については、以前にも記事を書いた。

そんな折、NHKの『3か月でマスターする心理学』で「なぜ詐欺に引っかかるのか?」という回を見た。

番組で紹介されていたのが、アメリカの社会心理学者ロバート・チャルディーニの研究だった。

チャルディーニといえば、『影響力の武器』で知られる研究者である。人が他人の働きかけに応じる心理について、いくつかの原理を明らかにした。

番組を見て、私が思い出したのは、もちろん迷惑メールフォルダのコレクションである。

そこで、AIと一緒にチャルディーニの理論をもう少し調べてみることにした。

すると、面白いことがわかった。

チャルディーニが研究していたのは、そもそも詐欺に引っかかる心理だけではなかったのである。

人はなぜ、他人の要求を受け入れるのか。

営業や広告、寄附の勧誘など、人が誰かに「はい」と言ってもらおうとする場面には、共通する心理的な仕組みがある。チャルディーニは、それを研究していた。

例えば、人は権威のある相手の言葉に従いやすい。これが「権威」の原理である。

また、好意を持っている相手の頼みは受け入れやすい。こちらは「好意」の原理だ。

チャルディーニは、こうした仕組みを七つの原理に整理している。

そこで、手元の偽国税庁メールに当てはめてみた。

すると、出てくる、出てくる。

国税庁を名乗ること自体が「権威」だし、「お客様」と親しげに語りかけてくるところには「好意」との関係がありそうだ。還付金の受取期限を強調するメールもある。

一見すると珍妙な偽メールの中に、人を動かそうとするさまざまな仕掛けが見えてきた。

ところが、そこからさらに考えているうちに、別の疑問が浮かんだ。

これは、本物の税務行政にとっても大きな問題ではないだろうか。

国税庁は、その使命を次のように定めている。

「納税者の自発的な納税義務の履行を適正かつ円滑に実現する」

戦後の日本では、申告納税制度が税制の基本となっている。所得税や法人税、相続税などは、原則として納税者自身が税額を計算し、申告する仕組みだ。

もちろん、納税は法律上の義務である。正しく申告しなければ税務調査を受けることもあるし、納付しなければ滞納処分が行われることもある。

しかし、国税庁が目指しているのは、納税者一人ひとりに税額を告知して強制的に徴収することではなく、納税者が自ら義務を果たすことである。

考えてみれば、ずいぶん大きなお願いである。

人々に、自ら税額を計算して申告し、税金を納めてもらう。

そのためには、法律による強制力だけではなく、制度への理解や信頼、手続きを行おうという気持ちも必要だろう。

国税庁がチャルディーニの理論を参考にしているというわけではない。

それでも、チャルディーニの理論を使えば、税務行政が人々に働きかける方法についても、何か説明できるのではないだろうか。

2.偽国税庁と本物の国税庁の「影響力の武器」

国税庁を名乗るということ

偽国税庁メールで最もわかりやすいのは、「権威」の原理である。

そもそも国税庁を名乗っているのだから、これほどわかりやすい例もない。

メールには、国税庁という名称だけでなく、e-Tax、受付番号、法人番号、所在地なども登場する。もっともらしい専門用語を並べ、正式な行政機関からのお知らせであるかのように装っている。

本物の国税庁には、法律に基づいて税務調査や徴収を行う権限がある。

偽物は、その権威を借りているのである。

興味深いのは、詐欺師が国税庁の名前に、人を動かす力があると見込んでいるらしいことだ。

受け取ったときには期限切れ

次に目につくのが、期限を使って急がせる手口である。

私がコレクションを始めてから保存した偽国税庁メールは、現在15通ある。その中には、還付金を受け取るために、至急手続きをするよう求めるものがいくつもある。

そのうちの一通には、還付金額として78,500円が記載されていた。

そして、手続きの完了期日は「令和8年10月17日(土)」。

ところが、このメールが届いたのは10月19日だった。

受け取った時点で、もう期限が過ぎている。

これでは、いくら急げと言われても間に合わない。

期限が迫っていると、人は十分に考える余裕を失いやすい。さらに、期限を逃せば還付金を受け取れなくなると言われれば、損をしたくない気持ちも働くだろう。

チャルディーニの「希少性」の原理は、手に入れる機会が限られていると、その機会が貴重に感じられる心理を説明する。今回のような期限による焦りには、損失への不安も関係していそうだ。

ところで、本物の税務行政にも、申告期限や納付期限がある。

こちらは法律に基づく期限だが、期限を設けることには、人々に行動を促す働きもあるのではないだろうか。

もし期限がなかったら、申告も納付も「そのうちやろう」と先送りされてしまうかもしれない。

偽物は架空の期限を持ち出し、本物は法律に基づく期限を知らせる。根拠はまったく違うが、期限が人々の行動に影響を与えるという点には共通するものがある。

それにしても、受信する前に締切を迎えてしまったメールには、もう少し頑張ってほしかった。

百貨店のように親切な国税庁

私の偽国税庁メールで特に目立つのが、妙に親切な言葉遣いである。

「お客様」

「日頃よりe-Taxをご愛顧いただき、誠にありがとうございます」

そして、

「国税庁でございます」

国税庁でございます。

なんだか、百貨店の外商担当者が電話をかけてきたようではないか。

国税庁は行政機関であって、顧客サービスを提供する企業ではない。それなのに、偽物はずいぶん腰が低い。

さらに、「たった3ステップで受取完了」と、手続きの簡単さまでアピールしてくる。

あるメールでは、還付金の受取手続きはAndroidスマートフォンでしかできないと説明したうえで、Androidを持っていない人には、家族や友人のスマートフォンを借りるよう勧めている。

そこまで親切にしてくれるのか。

チャルディーニの「好意」の原理によれば、人は好意を持つ相手の頼みを受け入れやすくなる。

偽国税庁は、権威ある行政機関を名乗りながら、同時に、感じのよい接客係まで演じているのである。

本物の国税庁も、わかりやすい案内や親しみやすい広報に取り組んでいる。笑顔のe-Taxキャラクター、イータ君もその一例だろう。

先に感謝してしまう「トイレ構文」

もう一つ、私が注目している表現がある。

「平素より国税行政にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます」

偽国税庁メールに登場する挨拶である。

これは、本物の行政文書にも見られる種類の表現だ。

私は以前、こうした挨拶について、『トイレ構文』という記事を書いた。

公衆トイレで見かける「いつもトイレをきれいにお使いいただき、ありがとうございます」と同じ構造だからである。

まだ何もしていない相手に、先に感謝する。

それによって、相手をすでに協力的な人として扱ってしまう。

チャルディーニには、何かをしてもらうとお返ししたくなる「返報性」や、自分の言動に一貫性を保ちたくなる「コミットメントと一貫性」という原理がある。

この挨拶にも、それらと関連する心理的な働きがあるかもしれない。

ただ、相手に何かを贈ったわけでもなければ、相手が事前に協力を約束したわけでもない。

むしろ、ここで行われているのは、相手に協力的な役割を先回りして与えることではないだろうか。

「あなたは、すでに税務行政に協力してくださっている方ですね」

そういう前提で語りかけるのである。

本物の行政が使う儀礼的な挨拶を、偽物も借りている。

3.詐欺師が想像する国税庁

恐ろしい国税庁と親切な国税庁

ここまで偽国税庁メールを読んでいるうちに、別のことも気になってきた。

詐欺師は、いったいどんな国税庁を演じようとしているのだろう。

国税庁の公式サイトには、国税庁やe-Taxをかたる不審なメールの事例が紹介されている。

その中には、未納の税金を納めなければ財産を差し押さえると脅すものがある。

こちらは、税金を徴収する強い権限を持った、恐ろしい国税庁である。

ところが、私のところに届いた偽メールは少し違う。

多くは、税金を返してくれる国税庁なのだ。

所得税を納めすぎていたので還付します。再審査の結果、還付金が増額されました。振込手続きが完了しました。

しかも、手続きは簡単で、親切に案内してくれる。

一方は、税金を払わなければ差し押さえると脅す国税庁。

もう一方は、わざわざ税金を返してくれる国税庁。

同じ国税庁を名乗りながら、ずいぶん性格が違う。

もちろん、私の15通だけで、詐欺メール全体の傾向を判断することはできない。国税庁が公表している事例も、注意喚起のために選ばれたものだ。

それでも、詐欺師が国税庁の異なる側面を利用していることはわかる。

ふるさと納税まで登場した

10月29日には、「ふるさと納税係る還付金のお知らせ」というメールが届いた。

件名には「に」が一文字足りない。

その一方で、本文には寄附金控除の制度について、かなり丁寧な説明が書かれていた。

還付金は86,400円。振込口座を登録すれば、7営業日以内に振り込まれるという。

ふるさと納税は、税の制度でありながら、返礼品をもらえる「お得な制度」として広く知られている。

所得税の還付と住民税の控除が混同されやすい制度でもある。

そうした制度のイメージを利用すれば、突然還付金の案内が届いても、信じる人がいると考えたのだろうか。

税務の専門家として読めば、おかしなところはいくつもある。

しかし、ここで私が気になったのは、税法上の間違いだけではない。

なぜ詐欺師は、数ある税制度の中から、ふるさと納税を選んだのだろう。

そこには、ふるさと納税について人々が抱いているだろうと、詐欺師が想像したイメージが反映されているのかもしれない。

偽物は、本物について何を教えてくれるのか

偽メールは詐欺師が書いたものだが、宛先は納税者である。

受け取った人に信じてもらえなければ、詐欺は成立しない。だから書き手は、納税者がどんな国税庁なら信じるのかを予想しなければならない。

ある人は、国税庁といえば税金を厳しく取り立てるところだと思っているかもしれない。

別の人は、納めすぎた税金を返してくれるところだと思っているかもしれない。

そして、国税庁から届く文書は、難しい専門用語が並んでいて、丁寧な挨拶で始まるものだと思っているかもしれない。

詐欺師は、そんな納税者の認識や期待を見込んで、国税庁のさまざまな顔を使い分けているのではないだろうか。

差押えを行う恐ろしい国税庁。

還付金を返してくれる親切な国税庁。

儀礼的な挨拶をする、いかにも役所らしい国税庁。

その一方で、「お客様」「ご愛顧」と語りかける、サービス業のような国税庁まで登場する。

偽メールに描かれた国税庁像が、納税者の認識をそのまま映しているわけではない。それでも、詐欺師が「これなら信じてもらえる」と見込んだ表現を集めることは、納税者が国税庁をどのように見ているのかを探る、間接的な手がかりになるのではないだろうか。

「納税者の自発的な納税義務の履行を適正かつ円滑に実現する」

本物の国税庁が求めるのは、正しい額を申告し、納付してもらうことだ。納めすぎたら返す。

一方、私が保存した15通と国税庁の公表事例に繰り返し登場するのは、還付金という利益や、受け取り損ねる不安、差押えという不利益である。

詐欺師は、納税者が持っている「得をしたい」「損をしたくない」という気持ちに働きかけているように見える。

偽物は損か得かを持ち出す。本物は、正しい額を自分で申告してほしいと求める。

考えてみれば、「正しく、自分で」というお願いは、やはりなかなか大変なものである。

本物の国税庁を調べるだけでは、見えてこないものがある。

どうやら迷惑メールフォルダも、税の人類学のフィールドになりそうである。