私は、人間に興味がある
私は、人間に興味がある。
大学では文化人類学を学び、大学院まで進んだ。その後、公認会計士試験に合格し、監査法人で働いた経験もある。
そんな私が今、専門にしているのは相続税である。
企業の会計監査でもなく、法人の税務顧問でもなく、個人の相続税申告を専門にしている。
なぜ相続なのかといえば、やはり人間に興味があるからだと思う。
相続税の申告では、亡くなった人の預金通帳や保険証券、不動産の資料などを読み込む。最初は数字の集まりに見えていたものが、調べていくうちに、その人の暮らしや人生を物語り始める。
どんな仕事をしていたのか。何を大切にしていたのか。家族とどんな関係を築いてきたのか。
資料の断片から仮説を立て、家族に尋ね、確かめながら、少しずつ亡くなった人の輪郭を描いていく。
そこに、この仕事の面白さがある。
私は相続専門税理士という仕事が好きだ。難しい案件に頭を悩ませることもあるけれど、それも含めて日々楽しんでいる。
とはいえ、いいことばかりではない。
ときには、ひどく憂鬱になることもある。
一人では終わらない仕事
相続という仕事は、税理士一人では完結しない。
相続税の申告は税理士、不動産の相続登記の代理は司法書士、法律上の紛争があれば弁護士。それぞれに資格ごとの独占業務があり、一つの相続手続きの中に、異なる専門家の仕事が入り組んでいる。
もちろん、すべての相続でこれらの専門家が必要になるわけではない。それでも、相続に関わる手続きを一通り支援しようとすれば、他の専門家との協業は避けて通れない。
普段は、信頼できる司法書士や弁護士と連携して仕事を進めている。専門家同士がそれぞれの役割を果たし、必要なところで相談し合う。そうすることで、一人ではできない仕事ができる。
けれども、専門家同士だからといって、必ずしも考え方が一致するわけではない。
それぞれの専門領域があり、立場があり、仕事の進め方がある。ときには、自分が当然だと思っていたことが、相手にはまったく違って見えることもある。
しかも、相続の仕事では、意見が合わないからといって、簡単に協業をやめられるとは限らない。
今年、私はその難しさを思い知らされる出来事を経験した。
信頼していた人
相手は、以前から付き合いのある専門家だった。
普段から一緒に仕事をしていたわけではないけれど、折に触れて交流があり、仕事上でも助け合ってきた。
今回の案件では、私のほうから声をかけて、仕事に関わってもらうことになった。
私は、その人となら互いの専門分野を尊重しながら、うまく連携して仕事を進められるのではないかと考えていた。
ところが、実際に一緒に仕事を始めてみると、思いがけないところで認識が食い違った。
問題になったのは、遺産分割を進める際に、税理士がどの段階で関わるかということだった。
相続税は、同じ財産であっても、誰が何を相続するかによって税額が変わることがある。特例や控除の適用関係が変わることもあるし、将来の相続に影響することもある。
だから私は、相続人が遺産分割の方法を決める前に、分割の仕方ごとに税額を試算し、税務上の利益と不利益を理解してもらいたいと考えていた。
相続人自身が判断するための材料を提供する。それが税理士の役割だと思っていた。
しかし、相手の考え方は違った。
まずは相続人に希望する分け方を出してもらい、その後で税務上の問題があれば指摘してほしい、というものだった。
私は、税務上の影響を知らずに分割の方向性を固めてしまうことに不安を感じた。
だから、遺産分割の検討段階から税理士が関与する必要があると説明した。
けれども、その考えはなかなか伝わらなかった。
私には、「あなたは今は黙っていてください。話がまとまってからお願いします」と言われているように感じられた。
もちろん、相手が実際にそう言ったわけではない。文面は丁寧だったし、税務上の問題があれば指摘してほしいとも書かれていた。
それでも、私は黙っていられなかった。
相続人が判断するために必要な情報を、判断する前に届けたい。
それだけのことが、どうしてこれほど難しいのだろう。
仕事の進め方について意見が違うこと自体は、珍しいことではない。相手にも立場があり、考えがある。
それでも、今回のことはつらかった。
もし初めて会う専門家だったら、もう少し割り切れたかもしれない。
けれども、今回は違った。
自分で声をかけた相手だった。
この人なら大丈夫だと思っていた。その期待があったからこそ、落胆も大きかった。
「弁護士法に触れる可能性があります」
認識の食い違いが解消されないまま、やり取りが続いた。
そして、ある日、思いがけない言葉を目にした。
「弁護士法に触れる可能性があります」
それは、私だけに宛てられたものではなかった。相続人を含む関係者全員で共有しているメールに、私の名前とともに書かれていた言葉だった。
私は戸惑った。
税理士が税務上の判断材料を提供することと、相続人の代わりに遺産分割の意思決定をすることは、まったく別の話だと思っていた。
それまでにも、私は自分の考えを説明し、協議の取りまとめは別の専門家にお願いしたいと伝えていた。
それなのに、相続人たちも読んでいるメールの中で、私が法令に違反しかねない専門家として名指しされたように感じた。
相続人が自分で判断できるように、必要な情報を届けようとしていた。その仕事への誠実さまで疑われたような気さえした。
しかも、それを書いたのは、私自身が信頼して声をかけた相手だった。
私は腹が立った。
どうして、こんなことを言われなければならないのだろう。
そして、その怒りは、なかなか収まらなかった。
その後、私は遺産分割協議の取りまとめを別の専門家に任せ、自分は話し合いに積極的には関わらないことにした。
一方で、それまで検討してきた税務上の内容は、資料として整理し、関係者に提供した。
分割の仕方による税額の違い、特例や控除の適用関係、将来の相続への影響。
相続人が判断するうえで必要だと考えた情報を、できる限りまとめた。
自分が話し合いに参加しなくても、その情報だけは届けたかった。
そこは、どうしても譲れなかった。
それでも、この仕事が好きだ
最初に認識の食い違いが表面化したのは、今年の二月だった。三月には、あの「弁護士法に触れる可能性があります」というメールが届いた。
そして今は、十月の終わりである。
七か月以上が過ぎた。
その間にも、私は相続税の申告を続けてきた。別の案件に取り組み、さまざまな人と出会い、いつもの日常を送ってきた。
それなのに、あのときのことが、今も頭から離れない。
どうして、あんなことになってしまったのだろう。もっと違う伝え方があったのだろうか。
何度も考えた。考えても、答えが出ない。
最近になって、相手に改めて説明を求めてみた。けれども、今のところ回答はない。
私はずっと、自分は怒っているのだと思っていた。
信頼していた相手に裏切られたように感じたのだから、怒りが収まらないのも無理はないと思っていた。
けれども、こうして出来事を振り返り、言葉にしているうちに、ようやく気がついた。
私は、怒っているだけではなかった。
深く傷ついていたのだ。
相手から説明があれば、気持ちの整理がつくのかもしれない。けれども、いつ回答があるのかは分からない。
だからといって、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
私は、この仕事が好きだ。これからも続けていきたい。
そのために、まずは自分が受けた傷に向き合い、自分自身を癒したい。
今、こうして文章を書いているのは、前に進むためなのだと思う。

