相続税の仕事をしていると、お客様のところに「相続税の申告等についての御案内」という紙が届くことがあります。
この御案内には、冒頭にこんな一文があります。
税務行政につきましては、日頃から御協力をいただきありがとうございます。
それを読んだとき、私は公共トイレの貼り紙を思い出しました。
「いつもトイレをきれいにお使いいただき、ありがとうございます」
あれ、同じじゃないか。
どちらも、相手がこれからしてくれると嬉しいことについて、先にお礼を言ってしまう。
「きれいに使ってください」とお願いする代わりに、「きれいにお使いいただきありがとうございます」と言う。
税務署も同じです。
まだ何もしていない相手を、最初から税務行政に協力してくれる人として扱っている。
私はこれを、ひそかに「トイレ構文」と呼ぶことにしました。
受け取った本人は、申告が必要なのかと不安になるかもしれません。でも、私は税理士として、その隣で御案内を読む立場にいるので、つい文章そのものに目が向いてしまいます。
そういえば、税務の世界には「申告漏れ」という言葉があります。
トイレにも「尿漏れ」があります。
どちらも、漏れる。
そう考えているうちに、今度は別の言葉が出てきました。
脱税と脱糞。
ああ、こっちも「脱」だ。
税金と排泄物は、どうも言葉の相性がいいようです。
申告漏れと尿漏れ。脱税と脱糞。
並べてみると、何か共通するものがあるような気がします。
いったい何だろう。
考えているうちに、以前、市民プールへ泳ぎに行ったときのことを思い出しました。
入口に警備員さんが立っていました。
私がプールに入ろうとすると、警備員さんは少し声を潜めて、事情を説明してくれました。
「脱糞がありまして、一時休業……」
そんなことをおっしゃったのです。
脱糞。
なんとも直截な言葉です。
しかも、警備員さんは声を潜めている。
市民プールが休業しているのだから、来場者には理由を説明しなければなりません。でも、その理由は、あまり大きな声では言いたくない。
私は泳ぐことができず、そのまま帰りました。
人間が排泄するのは、当たり前のことです。
トイレで用を足したからといって、市民プールが閉鎖されることはありません。
ところが、同じものがプールの水の中に紛れ込んだ途端、プールは使えなくなってしまいます。
もちろん、衛生上の問題があるからです。
けれども、私が面白いと思ったのは、もう一つのことでした。
どこにあるかによって、同じものの扱いがまるで変わってしまう。
身体の中にあるものが、身体の外へ出る。
そのとき、私たちは普通、トイレを使います。
便器から下水道へと、決められた経路を通って、排泄物は処理されます。
誰もが排泄するのに、私たちは、それをどこにでも出してよいとは考えていません。
市民プールの水の中は、排泄物の行き先ではないのです。
では、税金はどうでしょう。
私たちは、働いて所得を得たり、財産を相続したりします。
その所得や財産の一部を、税金として国や地方公共団体に納めることがあります。
もちろん、税金と排泄物は違います。
けれども、個人の領域にあったものを、社会の仕組みの中へ送り出すという点では、どこか似ています。
トイレは、身体の中にあったものを、下水道という公共の仕組みにつなぎます。
税の申告と納付も、個人の所得や財産を、公の財布につなぐための仕組みです。
どちらにも、通るべき経路があります。
そして、その経路から外れてしまうことを、私たちは「漏れ」と呼んだりします。
申告漏れ。
尿漏れ。
並べてみると、ますます似てきました。
そういえば、税金は「納める」ものです。
決められた場所に、きちんと納める。
何かが、あるべき場所に収まっている。
その状態が保たれていれば、私たちは特に意識することもありません。
でも、そこからはみ出した途端、問題になる。
市民プールでは、たった一度の脱糞によって、みんなが泳げなくなりました。
社会の中でも、税金が正しく納められなければ、税務署が動きます。
税務署と市民プールでは、もちろん扱っているものも、起きる問題も違います。
それなのに、こんなところでつながってしまうとは。
私はもう一度、あの「相続税の申告等についての御案内」を思い出しました。
税務行政につきましては、日頃から御協力をいただきありがとうございます。
最初は、トイレと同じ構文だと思って笑っただけでした。
でも、税金と排泄物の行き先についてあれこれ考えてから読むと、この一文が少し違って見えてきます。
私的なものを、公の仕組みへ受け渡す。
そのためには、みんなに決められた経路を守ってもらわなければなりません。
申告漏れも、尿漏れも、避けたい。
そこで、最初から、きちんと協力してくれる人として相手を扱う。
まだ何もしていないのに、もうお礼を言われている。
いつも御協力をいただき、ありがとうございます。

