私はときどき、メールの迷惑メールフォルダを覗く。
大切なメールが、間違って振り分けられていないか確認するためだ。
すると、たいてい国税庁からのメールが見つかる。
もちろん、偽物である。
あまりに頻繁に届くので、今では特に驚きもしない。
「所得税の過納額のお知らせ」
「還付金受取手続の完了期日のお知らせ」
「税務署からのお知らせ【確定申告の結果、過納額が生じております】」
件名には微妙な違いがある。
還付金が確定したというものもあれば、受取期限が迫っているというものもある。口座情報に不備があるというものまであった。
金額もさまざまだ。
64,300円、99,800円、105,600円。
どうやら私は、ずいぶん税金を納めすぎているらしい。
これまでろくに読んだこともなかったが、ふと思いついて、改めて文章を眺めてみることにした。
ご愛顧いただき、ありがとうございます
あるメールは、こんな挨拶で始まっていた。
「日頃よりe-Taxをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。」
ご愛顧。
国税庁は百貨店だったのか。
e-Taxとは、国税電子申告・納税システムのことである。税金の申告や納付などをインターネットで行うための仕組みだ。
私も日常的に利用している。
しかし、国税庁から「ご愛顧」と言われると、どうにも妙な感じがする。
別のメールには、こんな文章もあった。
「お客様の所得税還付金につきまして、ご確認いただきたい事項が生じましたため」
お客様。
こちらも気になった。
税理士は、税務行政の相手方を「納税者」と呼ぶ。国税庁もそうだ。私は以前から、この呼び方が気になっていた。
税理士事務所に仕事を依頼してくれる人は「お客様」でも、税務行政の文脈では「納税者」になる。
それが偽国税庁のメールでは、あっさり「お客様」になっている。
そのうえ、還付金の受け取りは「たった3ステップで完了」するという。「難しい手続きは不要です」とまで書いてある。
ずいぶん親切な国税庁である。
別のメールには、こんな挨拶があった。
「平素より国税行政にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。」
こちらは実に国税庁らしい。
私は、この種の挨拶を勝手に「トイレ構文」と呼んでいる。
公衆トイレなどに掲げられている「いつもきれいにお使いいただき、ありがとうございます」という貼り紙をご存じだろうか。
実際にきれいに使ったかどうかにかかわらず、まず感謝される。そう言われると、こちらもきれいに使わなければという気になる。
税金を納めるのは法律上の義務なのに、国税庁は納税者に「ご理解とご協力」を感謝する。
どちらも、相手が進んで協力してくれているという形で語りかけるのである。
この不思議な言葉遣いについては、以前にも記事に書いた。
偽国税庁は、そのトイレ構文をちゃっかり借りている。
役所らしい挨拶はできるのに、ときどき「ご愛顧」が混じる。
いったい、誰が書いているのだろう。
本物の国税庁からのメール
気になったので、本物の国税庁から届いたメールを探してみた。
以前、私自身が所得税の確定申告をしたときのメールなどが、複数見つかった。
本物の還付金に関する通知は、こんなふうに始まっていた。
「e-Taxをご利用いただきありがとうございます。」
続いて、提出した還付申告の処理状況について連絡する旨が記され、詳しい内容の確認方法が説明されている。
それだけである。
「お客様」も「ご愛顧」も出てこない。
還付金の金額を大きく掲げることも、「たった3ステップで完了」と誘うこともない。
実に事務的だ。
偽物のメールには、国税庁の住所や法人番号まで記載されているものがあった。
法人番号というのは、法人などに付番される十三桁の番号で、国の機関にも付番されている。国税庁自身にも法人番号があるのだ。
その番号を、偽国税庁は律儀に書き込んでいる。
国税庁の名称、英語表記、所在地、法人番号。
これだけ並べれば、いかにも国税庁らしく見えると思ったのだろうか。
しかし、私が見つけた本物のメールには、法人番号など書かれていなかった。
偽物の方が、懸命に国税庁らしさを装おうとしている。
偽メールの中には、国税庁を装った不審なメールに注意するよう呼びかけるものまであった。
偽物が、偽物にご注意くださいと言っているのである。
笑ってしまうが、メールのリンクを開き、個人情報やパスワードを入力してしまえば、実際に被害に遭うおそれがある。
いつものメールボックスに、犯罪者との接点がひっそりと開いている。考えてみれば、少し不気味なことである。
納税者はお客様ではない
それにしても、私は「お客様」という言葉が気になった。
区役所などの窓口では、住民を「お客様」と呼ぶことがある。税務署でも、個々の職員がそう呼ぶことはあるかもしれない。
しかし、国税庁の公式文書では、相手は普通「納税者」である。
国税庁には「納税者サービス」という言葉もある。
サービスは提供する。しかし、相手はお客様ではなく、納税者なのだ。
私は、国税庁にはこの呼称について、ある種のこだわりがあるのではないかと思っている。
国税庁は、その使命を「納税者の自発的な納税義務の履行を適正かつ円滑に実現する」ことと説明している。
「納税者」とは、文字どおり税を納める人である。
「お客様」と呼んでしまえば、国税庁と納税者の関係が、どこか商売上の関係に変わってしまう。
国税庁にとって、「納税者」という呼び方は、自分たちがどのような仕事をする組織なのかを示す言葉でもあるのではないだろうか。
偽物は、国税庁の名前も、住所も、法人番号も借りてきた。国税行政への「ご理解とご協力」という挨拶まで借りてきた。
ところが、肝心の納税者を「お客様」と呼んでしまった。
やたらと税金を返してくれる
ところで、偽国税庁には、もう一つ気になることがある。
やたらと税金を返してくれるのだ。
「所得税の過納額のお知らせ」
「還付金受取手続の完了期日のお知らせ」
私のところに届いた偽メールは、どれもこちらが納めすぎた税金を返そうとする。
国税庁を装っているのに、税金を徴収しようとはしない。
むしろ返そうとしている。
どうしてだろう。
未納の税金があるから支払えと言われれば、腹も立つし、疑問も湧くだろう。
ところが、納めすぎた税金を返すと言われれば、悪い気はしない。
税金は高い。取られすぎではないか。
そんな思いを抱いている人なら、「やっぱり納めすぎていたのか」と思うかもしれない。
しかも、これは給付金ではない。
所得税なら、源泉徴収や予定納税などで先に納めた税金が、最終的に計算した税額より多かった場合に還付が生じる。もともと自分が納めたお金を返してもらうだけなのだ。
もっとも、実際の税務行政は、そういう仕組みにはなっていない。
申告した税額が多すぎた場合、原則として納税者が更正の請求をしなければならない。税務署が申告の間違いを見つけて、わざわざ返金を申し出てくれるのが通常の仕組みではない。
ところが偽国税庁は、向こうから近づいてきて、こう言う。
あなたは税金を納めすぎています。お返ししますから、振込先を教えてください。
ここで、冒頭の「ご愛顧」という言葉を思い出した。
百貨店なら、商品代金を多く受け取っていたことがわかれば、向こうから連絡して、丁寧にお詫びし、返金してくれそうな気がする。
それが、長年お客様に愛顧されてきた店への信頼というものだろう。
偽国税庁が演じているのは、そんな百貨店のように親切な国税庁なのである。
親切な国税庁
こうして本物と偽物のメールを比べているうちに、私は少し不思議な気持ちになった。
偽物は、国税庁らしく見せるために、さまざまなものを集めてくる。
正式名称、所在地、法人番号、税務の専門用語、役所らしい挨拶文。
ところが、集めた部品の継ぎ目から、ときどき「ご愛顧」や「お客様」が顔を出す。
本物らしく振る舞おうとすればするほど、どこかで本物らしくなくなってしまう。
それだけではない。
偽物は、税金を納めすぎていれば、向こうから知らせてくれる。面倒な手続きも、たった三つのステップで済ませてくれる。
国税庁という公的機関の権威に、百貨店のような顧客サービスへの信頼まで重ねている。
偽物は、本物の国税庁を忠実に再現しているのではない。
国税庁らしさを装うために集めてきた言葉と、百貨店のような顧客サービスを思わせる言葉。その二つが混ざり合って、なんとも親切な国税庁が出来上がった。
納税者が気づく前に、納めすぎた税金を見つけて、向こうから返してくれる。
そんな国税庁は、いまのところ、迷惑メールフォルダの中にしかいない。

