私は大学の教養学部を卒業した。
しかし、最近の教養の供給源は、もっぱらNHKの語学番組『Enjoy Simple English』である。
平日5分間、やさしい英語でさまざまな話を聞かせてくれる。10月から始まった木曜日のシリーズは「Answers from Philosophers」。哲学者の知恵を借りて、現代人の悩みに答えるという趣向である。
10月15日のテーマは「I’m Worried about My Future(将来が不安です)」だった。
そこで登場したのが、アリストテレスの「キネーシス」と「エネルゲイア」である。
どこかで聞いたことがある。
ああ、岸見一郎先生だ。
以前読んだ『嫌われる勇気』に、そんな話が出てきたのではなかったか。
家を建てる人
番組では、キネーシスを、目標を達成したいから行う活動として説明していた。
一方、エネルゲイアは、その活動自体が好きだから行うことだという。
番組では、家を完成させるために建てるのか、建てること自体が好きなのか、という例で説明していた。
『嫌われる勇気』では、人生をダンスにたとえていた。
ダンスは、どこかへ到着するために踊るものではない。踊っているその瞬間に、すでに意味がある。
人生も、何かを達成するための準備期間ではなく、「いま、ここ」を生きることが大切なのだという。
出版企画書を書いていたはずが
独立して税理士事務所を構えている以上、お客様に自分の存在を知っていただく必要がある。
しかし、インターネット広告は出していない。以前はSEOを意識した記事を苦労して書いていたが、今となってはまっぴらごめんである。
そこで目をつけたのが、出版だった。
本を出せば、事務所のブランディングにつながるのではないか。
そう考えて、出版企画書を書き始めた。
ところが、これが思わぬ方向へ転がっていった。
企画書を書いていると、次から次へと、企画書とは直接関係のないアイデアが湧いてくる。
なかには、どうにも放っておけないものがある。
そこで、脇道にそれた着想を、エッセイにして自分のサイトで発表することにした。
一つ書き終えると、また次の題材が現れる。そこから別の着想が生まれ、それがまた次の記事につながっていく。
出版企画書は完成し、配信も済ませた。しかし今は、エッセイを書くのに忙しい。
氷上のウェイター
先日、寝る前にXを眺めていた。
私はXのアカウントを持っているが、もっぱら見るだけである。何か面白いものはないかと、ぼんやり眺めている。
すると、フィギュアスケーターの高橋大輔さんの古い映像が流れてきた。
高橋さんは、ギャルソンのような格好をしている。
舞台はスケートリンク。どうやら、氷上の障害物をかわしながら、お客様に料理や調味料を届けるというテレビ番組の企画らしい。
私が特に気に入ったのは、ダンディ坂野さんにドレッシングを届ける場面である。
高橋さんは、ドレッシングを手に氷上を滑り始める。
障害物をかわし、ジャンプする。
実況の人も興奮している。
「なんとなんと、ジャンプイン!」
見事な着地から、そのまま華麗なステップへ。
「さあ、そして……」
そこで、高橋さんが猛烈な勢いで回り始めた。
高速スピンである。
実況の声が途切れる。
くるくる、くるくる。
ダンディ坂野さんは、あまりの勢いにたじろぎ、横へずれる。どうやら、ぶつかりそうになったらしい。
高橋さんは「すみません」と言いながら、坂野さんの前に置かれたサラダにドレッシングをかけた。
そう、高速スピンでドレッシングをシェイクしていたのである。
ドレッシングを混ぜるだけなら、手で振れば済む。それを、全身を使った高速スピンでやってしまう。
競技生活で培ってきた技術と才能が、惜しみなく発揮されている。
ジャンプも、ステップも、スピンも見事である。
しかし、私が何より心を奪われたのは、そんな技を繰り出している本人が、ものすごく楽しそうに見えたことだった。
次々と現れるダンスの相手
以前、次々と湧いてくる着想を、ラーメンの着丼にたとえて書いたことがある。
着丼したら、麺が伸びる前に食べなければならない。
着想も同じである。思いついたときに書き留め、文章にしなければ、せっかくの面白さがどこかへ消えてしまう。
だから、私は次々と現れる題材を、必死になって捌いている。
本業の税理士業務もあるのだから、そんなことばかりしているわけにはいかない。
しかし、着想は待ってくれない。
つい先日も、租税教育用のアニメを見ていて、主人公の少女の髪型に目を奪われた。
頭のてっぺんに、茶色いものがこんもりと盛り上がっている。しかも、先端がくるりと巻いている。
うんこではないか。
そこから、かつて一世を風靡した『うんこ漢字ドリル』を思い出し、財務省の『うんこ税金ドリル』、国税局の「ちぇいとうんこちゃん」へと連想が広がっていった。
しまいには、縄文時代の土偶をサトイモの精霊と解釈した『土偶を読む』まで登場した。
少女の髪型から、縄文時代の土偶にたどり着いてしまったのである。
考えてみれば、私の前にも、次々とダンスの相手が現れている。
相手は毎回違う。
あらかじめ振付が決まっているわけでもない。
そのたびに、税務の知識や文化人類学のものの見方、これまで読んできた本や、仕事で出会った人々の記憶を引っ張り出してくる。
うんこ頭の少女が現れれば、うんこドリルと踊り、土偶の話にも寄り道する。
高橋さんは、長年鍛えてきた身体を使って、氷上を自由自在に動き回っていた。
私は、長年蓄えてきた知識や経験を使って、頭の中であちらへ行ったり、こちらへ行ったりしている。
出版という目的地へ向かうつもりで、企画書を書き始めた。
今でも、本を出版したいという気持ちはある。
しかし、出版できるかどうかとは別に、今日も私は文章を書いている。
高橋大輔さんは、ドレッシングを無事に届けた。
しかし、あの華麗なステップや高速スピンの価値は、ドレッシングがサラダにかかったことだけでは測れないだろう。
そうか。
私は出版という目的地へ向かっていたはずなのに、いつの間にか踊り始めていたのである。

