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ピッピに憧れて

子どものころ、『長くつ下のピッピ』が好きでした。

ピッピは、大人の決めたルールにあまり頓着せず、自分のやり方で生きています。

とんでもなく力が強くて、物おじもしない、「世界一強い女の子」。

子どもの私には、そんな自由さがものすごく魅力的に見えました。

なかでも好きだったのが、『ピッピ南の島へ』です。

ピッピは、サルのニルソン氏を連れて、海を渡って南の島へ行きます。知らない土地へ行き、知らない人たちと出会う。

それもまた、子どもの私にはたまりませんでした。

ピッピの近所には、トミーとアンニカというきょうだいがいます。

二人は、きちんとした家で育った、行儀のいい子どもたちです。

だからこそ、ピッピの自由さに惹かれ、その後をついていきます。

中学生、高校生になっても、遠い場所への興味は残っていました。

周囲には、医師や弁護士を目指す人がたくさんいました。

けれど私は、よく世界地図を開いて、にやにや眺めていました。

聞いたことのない国の名前を見つけては、そこではどんな人が、どんなふうに暮らしているのだろうと考えていました。

大学に入ったころは、経済学部に進むつもりでした。

けれど、前半の教養課程を終えるころ、進路を変えました。

選んだのは、文化人類学でした。

大学では、こういう進み方を「傍系進学」と呼んでいました。

知らない土地へ行って、知らない人たちがどんなふうに暮らしているのかを見てみたかった。

結局、南の島へ行くピッピを夢中で読んでいた子どものほうが、勝ったのだと思います。

そのまま大学院へ進み、博士課程では、とうとう赤道直下の国へフィールドワークに出かけました。

子どものころ、物語の中にあった南の島。

中高生のころ、世界地図の向こう側にあった場所。

そこへ、本当に行ってしまいました。

一年半、そこで暮らしました。

知らない土地で、知らない人たちの暮らしを見る。

子どものころの私が聞いたら、きっと喜んだと思います。

ところが、実際にそこで暮らしてみると、思っていたようにはいきませんでした。

赤道直下の生活は、私にはかなり過酷でした。

油を使う料理が多かったせいか、顔中ににきびができました。毎日のようにどこかがつぶれて、血がにじんでいました。

村で暮らしているうちに、足にも次々とできものができました。きちんと手当てもしないまま跡が残り、だんだん足がごぼうのようになっていきました。

若かった私は、そんなふうに自分の見た目が少しずつ変わっていくことにも、いちいち落ち込みました。

村の言葉も、一生懸命勉強しているのに、思うようには上達しませんでした。

聞き取り調査をしていると、私の話す言葉が分かりにくかったのでしょう。相手が顔をしかめながら、私の質問を聞いていることもありました。

知らない土地へ行って、知らない人たちの中に入り、知らない言葉まで軽々と飛び越えていく。そんなピッピに憧れていました。でも、現実の私は、その言葉ひとつをなかなか越えられず、うじうじと悩んでいました。

日々を重ねるほどに、私はピッピとはだいぶ違う人間なのだということが、じわじわと分かってきました。

ずいぶん遠くまで来て、私はようやく、自分はピッピではなく、ピッピに惹かれついていくアンニカのほうだったのだと気づきました。

博士課程を離れてからは、長いこと試行錯誤をしました。

いくつかの仕事を行ったり来たりして、ようやく、自分が落ち着いて続けられる仕事を見つけたのは、それから十年以上たってからでした。

いまは、相続を専門にする税理士をしています。

昔は、赤道直下の土地で、人の暮らしを見ていました。

今は、事務所のテーブルの向こう側から、人の暮らしを見ています。

家族のこと。

人が亡くなること。

残された家や土地や預金のこと。

誰が何を引き継ぐのか。

制度が、人の暮らしの中にどう入り込んでくるのか。

赤道直下の村から、相続の机の上へ。

まったく違う場所に来たようで、案外、見ているものは変わっていなかったのかもしれません。

ピッピには、なれませんでした。

でも、ピッピに憧れたアンニカは、ずいぶん遠くまで来ました。

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